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「手を繋ごう」という記事にいただいたコハルさんからのコメントを拝読し、
夫婦間の努力について、あたしの考えを書き残しておこうと思い立った。 夫婦間に限らず、他人との付き合いに努力が必要であるという考え方。 あたしは、この考え方に批判的な意見を持ち続けてきたのであった。 努力せねば保てない関係など、所詮その程度の関係にすぎないのだ。 長年、そう思い続けて暮らしてきた。しかし、緩やかに変化を始めている。 当然、「円満な夫婦関係に努力は不可欠」という考えにも批判的だった。 夫のために何かをしてあげたいと感じ、世話を焼く行為は努力ではない。 それは、自分自身の心を満たすための行動でしかないのだ。 関係を改善する努力などしなくても、ありのままを受け入れればいいのだ。 互いに認め合っていさえすれば、努力とは無関係にうまくやっていける。 あたしは、頑なにそう信じて疑うことすらしなかった。 実際に結婚し夫婦になり、1つ屋根の下、夫と日々暮らし始めた。 あたしは、努力などしなかった。そのかわりに、我慢をしていたのだ。 夫との関係が悪くなった時、あたしはまず夫の全てを受容しようとした。 しかし、あたしはそんなに寛容で優れた人間ではなかった。 過去に付き合った友人や恋人との関係では、それができていのだ。 何故、夫のありのままを受け入れることができないのか? きっと、結婚という儀式で、夫との永遠の関係を誓ったからである。 何があっても、あたしはこの人と並んで歩んでいくと誓ったのだ。 あまりにも近すぎる関係に、あたしは戸惑っていたのかもしれない。 夫の全てを受け入れられない。努力はしたくない。 だからといって、我慢を続けるにも限界がある。 一体、あたしはどうすればいいのだ?悩んだ末・・・。 無意識に近い形で、あたしは自ら努力するようになっていったのだ。 夫との関係を良くするために、あらゆる試行錯誤を重ねた。 今まで好きになれなかった駆け引きも、時々するようになった。 自分らしいと思えないことでも、必要があるならやってみようと思った。 あたしが地道に努力していることに、夫は気がついていないと思う。 逆に、夫が重ねている努力に、あたしも気がついていないのだろう。 けれども、努力に気がつく必要など、微塵もないのだ。 積み重ねた努力は、いつしか努力とは別のものに変わっていく。 最初は努力だったものが、歯磨きしたり、御飯を作ったりすることと、 それほど大差ない習慣のように変わりつつあるのだった。 努力を伴っても、伴っていなくても、 「夫婦関係を円満に保ちたい」という気持ちから発生した行動は、 多少なりとも相手に届き、互いの心を和らげてくれるのではないか。 努力が、もはや努力ではなくなる日が来るという確信を持てそうだ。 それならば、努力をするのも悪くないと考えるようになってきた。 努力によって報われることを願っているのではない。 努力しなければできなかったことが、あたりまえにできるようになる。 ここに、多大な魅力を感じているあたしであった。 こうして努力を積み重ねる。 1つ、また1つ、努力が努力ではなくなる日が来る。 5年、10年、20年、30年・・・・・。 夫婦である期間が長くなるほど、努力の数も減る計算だ。 努力は永遠に続くものではないならば、努力を惜しまず、 永遠に続いて欲しい夫との関係を大切していきたいな。 |
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